月別アーカイブ: 2019年11月

栗林公園

高松市栗林公園、夏はとても暑かったんでしょうね。今、涼しくなってとてもきれいな紅葉が目に入ってきます。また、いたるところでライトアップの準備も進んでいます。これからが本格的な紅葉シーズンなのでしょう。

庭園が広いのでゆったりと眺めながら歩きます。「どうぞ休んでください」と声を掛けられ、静かに佇むことが出来ました。
春の公園の桜もたっぷりと見てみたくなりました。

池の水は奥からの豊富な湧き水ということです。高松、うどんがおいしいのはこの水のせいかな? 池の鯉が餌をねだってやってきます。外国の方がじっと見ています。日本の景色なんですね。

奥社「厳魂神社」へ

最初は本宮までと計画を立てていたのですが、最初で最後になるだろうと覚悟して、厳魂神社(いづたまじんじゃ・izutama jinjya)までたどり着きました。厳魂神社より、とても素晴らしい讃岐平野の光景が見られました。是非、金刀比羅宮参拝は一日がかりと余裕をもって、厳魂神社まで行かれることをお勧めします。

ついに、1,368段目 「ついにやったー」と声が出てきました。奥社「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」海抜421メートルに到着です。金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祭られています。

白峰神社から鳥居をくぐるとすぐにあるのが菅原神社です。974段目です。あとは試練の400段が待ち受けています。

中腹の白峰神社は932段目にあります。紅葉も進み枯葉も見られ足元も滑ります。奥社への参道は訪れる人も少なく、出会うと「がんばって」と声を掛けてくれました。

 

金刀比羅宮 本殿へ

本宮の右手は展望台になっています。海抜251mの高さから見渡す風景は疲れを吹き飛ばします。左奥に昨日通った、瀬戸大橋が見えました。

やっと、金刀比羅宮本殿につきました。皇室ゆかりの神社ですので、天皇即位を祝い、大嘗祭当日祭の記帳が行われておりました。私は、世界の平和が続くよう願い記帳しました。

785段はとてもつらい、年齢を考えて休みやすみ登る。でも足元がふらつき始める

多くの修学旅行生や団体さんが階段を一斉に、本殿「金刀比羅宮」を目指して登ります。本殿までは階段は785段です。みなさん途中のお店で無料の杖を借りています。あとで本当に役に立ちました。

高松市より琴平駅までは、ローカルな琴電に乗って行きました。観光客より住民の皆さんの足になっている感じです。

瀬戸大橋

倉敷ICより瀬戸大橋を高松に向け走りました。今日は、8 年ほど前に倉敷市を訪れたときに、叶わなかった瀬戸大橋巡りです。
瀬戸大橋のほぼ中央には、四国への玄関口である与島パーキングエリアがあります。ここでは瀬戸大橋を間近に見る事ができ、展望台からは瀬戸内海の美しい景色を眺められました。

素晴らしい眺めに魅せられていると、思わず「瀬戸は日暮れて 夕波小波あなたの島へ お嫁に行くの。若いと誰もが 心配するけれど愛があるから だいじょうぶなの」と小柳ルミ子の歌を口ずさんでいました。この次はぜひ、瀬戸内海の小島巡りをゆっくり味わいたいと思いました。

与島パーキングの展望台からの眺めは最高、気持ちいい秋晴れの瀬戸内海です。

しまなみ海道

しまなみ海道ドライブ出発。先ずは来島海峡ドライブインより尾道ICへスタートです。とても天気が良く遠く来島海峡大橋が目に入ってきます。素晴らしい眺めで人気があるのはよくわかります。

写真を撮るならサイクリングでしょう、サイクリングで海道を楽しんでおられる方もたくさんいましたが、高所恐怖症の私には無理です。途中の道の駅で休み休み途中でパシャリです。

平山郁夫の美術館もあるのですね。今日はこのあと、倉敷経由で瀬戸大橋をめがけているので、ちょっと残念。次の機会に楽しみを残します。

内子座

芝居小屋の内子座にて説明を受けていたら、次々とグループがやってきました。
映画の普及とともに一時、内子座は映画館になり、老朽化のため取り壊されるところ、地元住民の熱意により改修が決定。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たしました。秋田の康楽館と同様、人力による奈落や回り舞台が残されており、今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されているそうです。

内子座から1km近く続く内子の町並みです。明治・大正時期に木蝋の生産と輸出で栄えた商家群の漆喰の大壁造りが多く、30年前に国の伝統的建造物群保存地区に指定されました。
旧街道のへんろみちで、たくさんの観光客が訪れるようですが、シーズンが過ぎ無人のざるに入った富有柿や冬ミカンが驚くくらい安く無造作に置いてありました。ちなみに、富有柿は大きなものが4個で100円でした。
人通りが少なく静かな佇まいの町並みです。

大洲城

愛媛県内のTVで、一泊100万円で天守閣に泊まれるという、大洲城を紹介していました。
キャッスルステイ。
よし、行ってみようと出かけました。
お城を毎日散歩しているという方に、偶然声を掛けられ大洲の良さを紹介していただき、天守閣にはもちろん泊まれませんが、すっかり大洲のファンになりました。

大洲城は城下町大洲の肱川(ひじがわ)の河畔に築城されました。
天守閣からの見晴らしも大変よく、日本の100名城に数えられているそうです。天守閣は地震で倒壊したのを、市民の寄付などで20億をかけて再建したということです。
北海道からはあまり訪れてはいないそうで、愛媛に行かれたら是非お勧めします。

坂の上の雲

司馬遼太郎は、「坂の上の雲」中で松山出身の正岡子規、秋山好古、秋山真之の生涯を通して、近代国家として成長していく明治日本の姿を描いています。このミュージアムで、彼らの生きざまをひしひしと感じることができ、旅行が終わり次第、地元の図書館のお世話になりゆっくりと読んでみたくなりました。

宿泊したホテルよりはライトアップされている洋館や、松山城が見えていました。

とても興味が湧いてきましたので、「坂の上の雲ミュージアム」見学の後、その洋館めがけて小路を上りました。

「萬翠荘」という洋館で、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる伯爵が、別邸として建設したものです。純フランス風の建物は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、平成23年(2011年11月29日)に、国重要文化財に指定されているそうです。

同じ敷地には、夏目漱石が明治28年に愛媛県尋常中学校の英語教師として赴任し、当初下宿していた小料理屋が「漱石珈琲店愛松亭」として、復元されています。
漱石は愛松亭からの眺めが気に入っていたそうで、そこは紅葉が大変きれいでした。

 

道後温泉・本館

本館は7年をかけての工事中ということはわかっていました。
いろいろな別館があるのですが、本館が完成する7年後は来れるかどうか分かりませんので、本館の中で今入浴できる神の湯に入ってきました。
入浴料は410円、石鹸50円、シャンプー50円、他にレンタルタオル、レンタルバスタオル代が若干かかりました。
用意していけば入浴料のみなので、地元の常連客がたくさん来ておられていました。泉質はとてもあっさり、無色透明でたいへん気持ちの良い温泉でした。

すつかり温まった後は、アーケード街にてお土産を購入。
道後温泉本館が完成する7年後や、地震で崩れた熊本城が復元できるまで、ずっと元気で健康でいたいと思いました。

 

松山城

新千歳を7:20に発ち、松山城には13:00に着きました。ここは、コスモスが見事に咲いており9月上旬の気候です。ボランティアのガイドを頼んで、説明を受けているグループがいましたので、これ幸いにと、まとわりつきながら松山の歴史を学びました。

大街道のすぐそばのロープウエイ入り口より、お城の広場まで急な勾配なので、ロープアウェイやリフトが運行されていました。今日は天気が良いので風も爽やか、リフトを利用しました。

松山最初のお出迎えです。
帰り道の城郭のすき間に動くものがいます。気配を感じてじっと動かなくなり、忍びの術。体色が緑色から茶色へ変身、また「鎌」も二刀流と小さいのですが、カマキリでしょうか?

 

初雪

朝から雪が降っています。とうとう雪がやってきました。
マリーゴールドが今日まで頑張ってくれたので、感謝です。
来週ぐらいにバラの株ををゆっくり、ゆっくり寝かせます。雪の下にしておく方が寒さから逃れるせいか、春には立派な花を咲かせるのですよ。ただ作業中に、鋭いトゲが私を攻撃してくれますよ。

夕焼け

つい先ほどまで、ギャーギャーと騒いでいた渡り鳥達も、陽が沈むとすっかり静かになった。
湖面に残っている鳥たちも、この沼にとどまるのか? 月夜の中、南の新たな沼に行くのか?
寒波はもうすぐそこまでやってきている。

 

美沢分校

 

地元の83歳になられる元気な知り合いが、「持っている山の写真を撮ろう」と声をかけてくれ、トラックで出かけた。造林場所へ行く途中、既に廃校になっている学校や跡地を10個所位ぐるぐると回った。広い新十津川町の山の中、頭の中では地図の感覚が全く無くなっている。
新十津川町の小中学校も統廃合が進みそれぞれ1校となり、10年が経った。彼は私の経歴を知っていて、過去の新十津川町の学校の歴史を見せたがっているように、強く感じた。

最初に訪れた美沢(みさわ)分校は廃校になり36年、解体されず残っていた。しかし朽ちるまでは少しの時間もかからないだろう。
彼の記憶を私に伝えてくれたことで、今、私が伝えていく番になっていった。
「磐の沢沿革」の記念碑が建てられていた。
入植・開拓の方々と共に教師たちも熱い情熱を燃やしていたことを、記憶の彼方の自分に重ね、しばし佇んでしまった。