月別アーカイブ: 2020年12月

マイナス22℃

車の外気温計ではマイナス22℃を示しています。石狩川の川面から湯気?が上がっています。雲海ではありません。午前中は全然気温が上がりません。この時期にこんな低温は28年ぶりだとか放送しています。

昨夜からの数年に一度という寒波です。幌加内町母子里での初任の頃はマイナイス40℃の世界は何年も経験していて、マイナス30度は暖かく感じていたのに、今ではマイナス20℃でも体に堪えます。

今朝は、遠くのピンネシリがとてもくっきり見えます。来年はコロナが早く収束することを願っているようです。

事前に参拝・出雲大社

 新型コロナウイルスの感染拡大が過去最悪の水準となっていることを受け、「静かな年末年始」を送るよう国民は要請されました・・・。
「静かな年末年始」とは、まず忘年会や新年会には参加せず、子どもたちの帰省は遠慮してもらい、初詣も自粛して除雪に専念・・・と言うことかな?
 事前に参拝ができるのかと、菊水区内にあります出雲大社新十津川分院に行きました。12月27日、もう既に来年の干支も飾られ、社務所では神主さんや巫女さんが待ち構えていました。
鈴を鳴らして、「2礼4拍手1礼」。新年のお札を購入していると、次々に車が入ってきました。感染を避け皆さん協力して、事前に参拝なんですね。

クリスマスイブ

コロナ禍、「どこにも出かけずに、静かなクリスマスイブを過ごしましょう。」というお願いを、実行しました。
今頃、孫たちはファミリーでケーキを頬張っているのでしようね。GGは家内からクリスマスケーキではなく、毛ガニ一匹あたりましたよ。
大雪が続き除雪で頑張っているのでご褒美でしようか。ぐっと冷えた純米酒「新十津川」が進みます。

紅サケの飯寿司

寒くなると飯寿司と日本酒で一杯やりたくなりますね。今年、家内はなんと、紅鮭2匹で飯寿司を作りました。「紅鮭の飯寿司は、スーパーではとっても高いんだからね」と、出来上がりを自慢しています。「2匹作ったので、どんどん食べてね」と言ってくれるので、地元金滴酒造の純米酒で自粛中の静かな年末を楽しんでいます。

もう、雪はいらないよ

 積雪のニュースが幌加内と岩見沢の様子を伝えています。今朝は吹雪で高速も江別と岩見沢の間で止まっているという。
 岩見沢ほどではないが、ここも50cmは越しています。近所は終わっているのですが、あせらずゆっくり除雪をしていると、太陽が顔を出しました。明日からはマイナス42℃の寒波がやってくるという。太陽を浴びようと堤防まで行ってみましたら、河川敷は強風にさらされて雪原になっていました。動物の足跡も見えません。みんな籠っているのかな?

雪だるまポリス

岩見沢や幌加内では1メートルの積雪となりました。コロナ禍で各地の雪まつりが中止となる中、駐在の警察署長さんから「雪だるまポリス」を作りましたので、ご覧くださいと連絡が入りました。
帽子・マフラー・ベルト・手袋ととても凝っていますね。夜にはライトアップしてLEDがイルミネーションのように点滅します。
自粛、自粛と家にこもりがちになるので、このように各家庭で工夫して雪を楽しむ冬としたいものですね。私もチャレンジしてみようかな。

徳富川と石狩川の合流

新十津川町の様子を紹介します。
ちょうど出雲大社新十津川分院付近で、写真の右手ピンネシリ山からの徳富川が石狩川に合流します。両側が河川敷の公園になっており日頃は多くの方がウオーキングを楽しんでいます。
奥の新十津川橋を越えるとすぐに左方向に、ユニークな屋根の福祉センター「ゆめりあ」が見えてきます。
みどり区からの眺め、ピンネシリの山並みもうっすらと白くなっています。

石狩川との合流地点は左手方向、まもなくです。
両河川の合流により徳富川では逆流現象もおこります。水害に備え、現在は徳富川の両側に大型ポンプによる内水の排水機が設置されています。
この両河川敷は普段はパーク場や公園として普段は住民に利用されています。

徳富川はこの石狩川と合流します。今日はゆっくりと流れているのですが、台風時期となると堤防一杯まで水が押し寄せます。奥は滝川市、その奥に歌志内市神威岳スキー場西ゲレンデが見えます。

  • 下の写真は。2016年8月21日の石狩川の様子です。南富良野町が空知川により大洪水になった日です。石狩川と徳富川の合流地点には空知川も合流します。
    ですので、下流の砂川市は以前よく洪水が起こりました。いまでは、洪水が予想されるときに一時的に水をためる遊水地が作られています。

冬ごもり間近

ふもとから徳富ダムへの道は雪が積もりとても運転がしずらくなっています。滑って谷に落ちないように注意して到着です。ダムの管理のパジェロが止まっています。定期的に管理しているのですね。
ダムより奥には「白い橋」あるのですが、雪で通行止めでした。「白い橋は」もう冬ごもりですね。

道路の脇には、幌加地区に開拓に入って無くなられた方々の殉教碑もありました。今は大規模なそば畑になっています。