3年ぶりにタマゴマンの作者も坂本 勤さんの講演をお聞きしました。タマゴマンも東京書籍の中学校全学年の道徳の教科書に登場するなど、各地でのご講演でお忙しいなか、特別に無理を言って快くお引き受けいただきました。当地にもファンの方が多く坂本さんとのなつかしい再会も見られました。そっと背中を押してくれる温かいお人柄より、お母さん方は子育てパワーをいただきました。ありがとうございました。
月別アーカイブ: 2009年9月
石山のすそのはるか
昨日、とても素晴らしい秋晴れだった。大きな気持ちになりたくて10時頃一人で石山に登った。途中で下山する人と出会った。クマよけの鈴が遠くから聞こえた。頂上では一人がベンチに腰掛けて、最高の贅沢を味わっているように読書をしておられた。汗をかいてもすぐに蒸発するとても気持ちの良いお天気。一気に展望台まで登った。石山のすそのはるかに広がる空知平野はすっかり黄金色、実りの秋を迎えていた。空気も澄み渡り、遠くピンネシリ、クマネシリの山がとてもはっきり見えた。
URAN 2009
一週間ほど前から呼吸が苦しそうになっていた。布団の中に入りたがるのになかなかその元気も出てこないようだった。抱きかかえるだけとても苦しそうになるので、生まれたときからかかっている獣医さんに電話をしたら手術中なので、「とりあえずようすを見てください」ということだった。3時間後、公宅に電話があり、「手術が終わってすぐに、昔の電話番号から自宅にかけつけました。いらっしゃらなくて、隣の人に、今、「公宅」におられると聞いて電話しました。・・・・」と、先生も心配してわざわざ遠いところを往診してくれたらしい。すぐ、動物病院で見てもらうことにした。先生は診察を始めるとすぐに顔を曇らせた。心電図の波形が小さいく不整脈もある。レントゲンでは心臓肥大で肺に水がたまっており、曇って写ります。「これは大変危ない、苦しい状態です。人間で言うとICUに入らなければならない。いつ心臓が止まってもおかしくない」と遠回しに、出来るだけのことをして、気持ちの整理をすることを促された。「苦しいから横になることも出来ないはずです」「苦しまないように無理をさせないでください」といわれた。家に戻り一緒の写真を撮った。まだ気持ちの整理はできず、せつない。
コルチカム
我が家の庭では雪を割って花を咲かせる、コルチカムが咲き始めました。妻は秋には各種チューリップ、クロッカス、水仙、と春の花壇を予想して植え込みます。コルチカムも以前に植えたのでしょうね。今春にはミョウガも植えていました、実がなるのは来年に言うことなのでたのしみです。
十六夜ほおずき
十五夜は満月。十六夜(いざよい)は、ためらうという意味があり、十五夜の月より、やや遅く出る月、ためらいながら昇る月という意味です。このミニほおずきに「十六夜ほおずき」と名付けた方はどんな方なのでしょうか? 5年前に江部乙・道の駅で、名前に惹かれて購入しました。小さいミニほおずきですか、このようにたくさん実をつけてくれます。
カンナ
自宅のカンナがやっと咲きました。この立場になり13年、自宅には泊まっていない。庭には手が回らないので毎年ひまわりを隣家との境に植えました。小さなひまわりは隣家の方を向き、留守宅のお世話をしてくれるお礼を表しています。今年春に初めてカンナを3株植えたのですが芽が出たのはこの株だけでした。シルバーウイーク、すでにひまわりは枯れかけていますがやっとカンナが間にあってくれました。あと2年で戻ってきます。
石山と神威岳
秋晴れです。自宅からは中央に石山やその左奥に神威岳を眺めることが出来ます。石山には火山岩で真っ黒な玄武岩の巨岩がたくさんみられます。また、神威岳には不確かですが火口の跡が見られたとか、自然探索の時に聞いたことがあります。かって次々と噴火をしながら十勝岳、旭岳と続く火山活動があったのでしようか。
丘のふもと
「丘のふもとの小さな苗屋」 年間パスポートがありましたので上野ファームに寄りました。9月の30日で閉園しますと書かれていました。あまり天気が良くなかったのですが、リピーターらしい人がたくさん見えられていました。花は夏の華やかさを残しつつすっかり色あせてしまいましたが、秋の風を受け素敵なガーデンになっています。私はホップの苗・雌花を購入しました。少し弱っていますが苗類は3割引、今がチャンスかな?
落葉
昨年富良野に行く途中に偶然見つけたカラ松林、今日立ち寄ってみました。私たちが見つけると言うことは地元の方には十分知れ渡っている場所でした。早朝からの足跡がたくさんありましてあきらめていたところ、取り忘れていた落葉に出会いました。それをきっかけに次々と出会いました。私たちが来るのを待っていたみたいです。夕食はおいしいみそ汁にしていただきました。山の恵みに感謝しています。
親知らず子知らず
砂川市石山中学校、学校祭。レベルの高い合唱コンクール、最優秀賞学級は閉会式で再び歌った。岩河三郎の「親知らず子知らず」、子を呼ぶ母の、母を呼ぶ子の叫び声が聞こえるか・・・の歌詞の中に次々と引き込まれ、観客は瞬きせずに聞き惚れた。
豊平館
キタラからの帰り道、中島公園の豊平館がライトアップされていた。開拓使直属の貴賓用ホテルとして、明治13年に建築された木造洋風建築物です。歴代の天皇が宿泊され、昭和33年に中島公園の現在地に移築した。
札幌は時計台といい洋風の建物がよく似合う。ライトアップされた豊平館は結婚式場としても活躍中である。開拓使のマークは5角形・北極星であり、開拓史から地名に北極星を名乗るのを許された土地は「北辰」としとて全道各地に残っている 。空知では滝川市江部乙地区は北辰と呼ばれていた。
夕闇
5日、キタラホールに北海道吹奏楽コンクール・砂川市石山中学生C編成の応援に行きました。全ての学校の演奏を聴き、キタラの外に出て足腰を伸ばして19時35分の審査を待った。芸術の審査は難しい。金賞を目指したが銀賞の評価であった。また来年も応援に来れることを願い、キタラを後にした。
かりん
昨年、前庭に植えられている花梨(かりん)が実をつけましたと、事務室に飾ってくれました。形は少し細めだけど私の知っているマルメロと同じ香りです。調べてみるとマルメロと花梨は近縁種・兄弟なのだとわかりました。ところが今年、写真を撮ろうと花梨を探していると、なんとボケの木に同じ形の実があるのです。ほとんど区別がつきません。またまた花梨とボケとマルメロは近縁種で三姉妹の関係なのだとわかりました。ボケの実は8月31日にお伝えしましたので、今日は花梨をご覧下さい。
幌加内小学校・ほろくま
だれが名付けたか、「ほろくま」。寒さと積雪に耐え、幌加内小学校の東屋に登って、番をしています。今日は蕎麦祭りで幌加内は大変賑わっていることでしょう。ゆかりのある人たちが幌加内小学校にも訪れたことでしょうね。「ほろくま」もさぞ喜んでいると思います。私は母子里の帰りに「ひさしぶりだね」と頭をなでてきました。だれかこのクマの由来をご存じないですか?
母子里小中学校
昭和49年4月の状況は小学校と中学校が合わさったいわゆる小中併置校。一つの職員室に校長先生一人(中学校発令)、教頭先生一人(小学校発令)、小学校教員3名、中学校教員3名で事務職員、養護教員はいない。小学校は複式3学級、中学校は複式2学級認可だが校内体制で3学年に分けた。理科の教師でも国語、音楽、美術と受け持ち、小学生の授業も専科として行くなど今風に言うと小中一貫校。
グランドの入り口左側の門にに母子里中学校、右側の門にに母子里小学校とプレートが貼られている。校舎の解体とともに校門は撤去されるのだろうか。
幌加内 母子里小中学校・火気札
全ての物が運び出されており、職員室も解体されていた。ふと気がつくと、なぜか「火気札」が掛かっていた。懐かしい達筆な文字は当時のまま、そっと鞄にあずかった。冬はマイナス40度にもなり、教室は大型の石油ストーブにより常時温めていた。床からの冷たさに耐えきれず、おふくろに毛糸の靴下を編んで欲しいと頼んだのも懐かしい。
幌加内町母子里中学校
母子里中学校がお盆明けに取り壊されると聞き、駆けつけた。もうすでに窓枠、天井、内壁、配線類はがされていた。クレーン車も用意され、あと数日遅かったら瓦礫となっていただろう。35年前の光景はしっかりと目に焼き付いている。
母子里神社は秋祭りだった。宴も終わり、境内には誰もいない。薪の白い煙が辺りに漂い・・・・・目に染みた。
sunset
秋が近づいています。グランドのバツクネツトもすつかり夕焼けの赤いグラデーションに染まっています。猛練習の野球部、練習時間も短くなり部員の声も何となくせわしく聞こえます。